最近、私人逮捕系のyoutuberが相次いで逮捕されていますね。
彼らなりの正義はあったのかも知れませんが、どうやら行き過ぎてしまったようです。
しかし、誰にも称賛されず、お金にもならず、結果も見えず、注目もされず、無視されるばかり…という状況の中でも、彼らは正義を貫けたでしょうか?
答えはおそらくNOでしょう。
収益を第一義にしてしまったことが行き過ぎの最たる理由でしょうが、正義の『気持ちよさ』がクセになってしまったのも行き過ぎた理由の一つではないかと私は考えています。
コロナ禍で流行った『自粛警察』なども同じようなものですね。
ネットの炎上騒ぎもそう、『罰するための正義』は賛同を得て、マジョリティとなった時点で暴走を始めます。
正義は本来何かを罰するためにあるのではないのです。
正義は『正しい』ということでしかありません。
正義の対義語は『不義』となりますが、不義にも『正義の名において罰せられるべきもの』などという意味はありません。
つまり、『罰するための正義』は罰を与えたい人による『正義の悪用』でしかありません。
実はこの『正義の悪用』は、私達のごく身近で頻繁に行われています。
例えば…
不倫を叱る占い師さん、いませんか?
行動できない人を叱る占い師さん、いませんか?
正論を盾に、相談者さんを『叱りたい』と思ったことはありませんか?
叱った、叱ることを想像した、その時自分の感情はどう動きましたか?
わずかでも『気持ちいい』と感じませんでしたか?
叱る、という行為はそもそも気持ちよくなどないものです。
相手の状況や理解の程度、心情、メンタル、性格、タイミングなど、様々な要素を考慮した上で、さらに効果的と思われる方法で冷静に行うものです。
考えただけで「大変そう…」と思いませんでしたか?
そう、大変ですよね。
気持ちよさなんて1ミリもない、何ならものすごく神経を使って疲弊するものです。
ですから、叱るということに1ミリでも『気持ちいい』を感じるなら、それは正義でも何でもないと思ってください。
自分が満たされたいだけです。
もっと言うなら、満たされない自分がいるということですから、きちんと自分で解決すべきだということです。
さて、いかがでしたでしょうか?
この『正義の悪用』は、正しいことを言いたいと思う占い師さんがやってしまいがちなことなんです。
『正しいことを言いたい』という時点で自分の欲でしかないのですが…相談者さんのためでも何でもないですよね。
私も常日頃から気をつけています。
自分の中にもいるからです。
『誰かを平伏させて優越感を感じたい自分』が。
自分の価値が揺らぎそうな時、自信が揺らぎそうな時、そういう自分が現れるのを感じます。
そんな時は「自分に集中できてないぞ」と言います。
やるべきことに集中していたら、自分の価値や自信なんて、どうでもいいですからね。
もし、あなたがそんな自分を感じたら『今、ここ、自分の夢』に戻ってきてくださいね。
今回は正義の悪用についてのお話でした。
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