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タロットの歴史考察

目安時間 17分

さまざまな資料をもとに、タロットの歴史を考察してみます。
タロットに占い要素が加わったのは18世紀。
それまでタロットはいわゆるゲーム用のカードでした。
(現在でもゲーム用に用いられています)

ざっくり考えますと、

  1. ゲーム用カード(トランプ様の数札、小アルカナ)が誕生
  2. 賭博に使われたため禁止令が出る
  3. 禁止令を逃れるため教育目的のカード(宗教的意義のある)を加える
  4. それが一般的なデッキ構成となる(大アルカナ+小アルカナ)
  5. エジプト起源説と結び付けられる
  6. 神秘的要素とトランプ占い要素が加わる
  7. さらに魔術的要素が加わる
  8. 現代の多様なタロットへ

といった流れかと思われます。

「ただの遊び道具だったのか…」とがっかりされる方もいるかも知れませんね。
ですが、そもそも元から占い道具だったものなどほとんどありません。
何でもない日用品(時に石ころが使われたことだってあります)に占い的要素を見出し、占い道具として洗練させてきた、ヒトの偉大な創造性に感動すら覚えます。
道具というものは智慧の結晶とも言えます。

以下、点在する資料を年表にまとめ、間にコメントを入れてみました。
ご参考までに。

年代 タロットへの影響 場所 解説
12世紀以前

プレイングカードの

成立(小アルカナ)

中国 中国には「葉子」というプレイングカードが存在し、これがイスラム圏に伝わったとされる。中国の書物に、最も古いプレイング・カードに近いものが唐の時代(617~906)に存在したとの記述が。
シルクロード交易による伝来か。
13世紀頃

プレイングカードの

流通(小アルカナ)

エジプト 13〜16世紀にエジプトやシリア方面 を支配していたイスラム系のマムルーク朝人のカードが、アラビア人によってイベリア半島から製紙印刷技術と共にヨーロッパ社会にもたらされたとされる。
11~13世紀頃 タロット(大アルカナ)のモチーフになったと推測されるトリオンフィ、カルミナ・ブラーナ(歌集)の成立 イタリア
ドイツ

タロットカードの原型はペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304-1374)の寓話的な詩集『凱旋(Trionfi=トリオンフィ)』(1352年)にあると言われている。
『凱旋』という作品は全部で六部から構成されており、
「愛」⇒「純潔(貞潔)」⇒「死」⇒「名声」⇒「時」⇒「永遠」の順番で、後のものが前のものを打ち倒して勝利し、凱旋するという流れになっている。
なお、ペトラルカは各地へ旅行して、古代の写本を熱心に研究したとあり、また1353年から8年間はミラノのヴィスコンティ家のもとに身を寄せたとある。

カルミナ・ブラーナ ボイエルン修道院から発見された詩歌集。
歌詞の内容は若者の怒りや恋愛の歌、酒や性、パロディなどの世俗的なものが多く、おそらくこの修道院を訪れた学生や修道僧たちによるものと考えられた。(おそらくここにペトラルカも訪れたのではないか)
またこの時代ゴリアルド、ヴァガブントと呼ばれる、放浪修道士・遍歴学生の道化・詩人達がいて、各地の荘園・教会・大学を渡り歩いた。彼らは世俗に通じていたが、教養もあり、聖書・ギリシャローマ神話などの古典をテーマにあるいはもじって、ラテン語(一部中世高地ドイツ語・フランス語)で詩を作り、荘園等で求められれば詩を歌った。

トリオンフィ、カルミナ・ブラーナのみを大アルカナの原型とするのは無理があるように思うが、大アルカナのカード構成に影響を与えたことに間違いはないだろう。
14世紀頃 タロット(大アルカナ)のデザイン様式の成立 フランス

14世紀頃から盛んになったキリスト教会装飾写本の挿絵(ミニアチュール)
この時代の装飾写本の需要は高く、日常的に取引されるようになった。また、写本生産は修道院に限定されず、民間の写本工房でも生産された。

また、大アルカナ(主に四元徳)の構図原型に影響を与えたであろう美徳と悪徳の対になった壁画がスクロヴェーニ礼拝堂に残されている(1305年)。

ミニアチュールのデザイン様式がミンキアーテ、マンテーニャタロッキへと繋がった可能性が高い。
1392年 シャルル6世のタロット フランス

記録上辿れる限りでは最古であるがこれは現存していない。これはシャルル6世が画家ジャックマン・グランゴヌールに作らせたもの。これは現存していないため現在のタロットとどの程度似ていたのか、あるいは全然違ったものだったのか、全くの所不明。
※1392年、精神が不安定なシャルル6世を慰めるため、「シャルル6世のタロット」とよばれるデッキが作成された。「フランス国王シャルル6世の会計帳にある「金色や様々な色で描かれた56枚の遊技札」の記述によれば、3デッキ作成の代金として、1392年に画家ジャクマン・グランゴヌールに、6枚のペルシャ硬貨を支払ったとある。

会計帳に「56枚の遊戯札」とあるので、プレイングカード(小アルカナ)のみであった可能性も否定できない。
1415年 ミンキアーテ版の成立 イタリア

フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ公爵が秘書トルトナに作らせたという「ミンキアーテ版」。当時のものは現存していないが、後世に作られた複製が残っており、内容を知ることはできる。これによると配列順や名称、絵柄が現在の大アルカナとは違っているところもあり、現在の大アルカナの「枚数・順番・名称・絵柄」は当時まだ確立されていなかったことがわかる。
※後世の複製であるため、本当に当時のデザインかは不明

フィリッポ・マリア・ヴィスコンティは後(1463年)にボニファチオ・ベンボ(画家)にタロット制作を依頼している。
1420~1429年 カード賭博の禁止 イタリア

ミラノ地方のフィリッポ・マリア・ヴィスコンティによる中程度のトランプ法。フィレンツェとその周辺のそれほど厳しくない禁止。

自身の秘書にカードを作らせ、その後禁止令を出しているところから、当時カードおよびカード賭博は身分を問わず大流行していたのかも知れない。
1440年 タロットデッキ原型の出現 イタリア

知られるかぎり切り札が最初に使われたのは「トリオンフィ(trionfi)」というゲームで、タロットは本来はこのゲームを遊ぶ目的で作られた。
「トリオンフィ」という言葉は、フィレンツェの1440年の文献に記載されており、初期にはタロット自身を指していたようだが、後にタロットを使ったゲームの名称になった。
トリオンフィと同時期かやや早くからあったゲームに Imperatori(1423初出)や Karnöffel(1426初出)などがあった。後者は特定のスートの一部のカードに悪魔・法王・皇帝などの絵が描かれていて、それらのカードが切り札として働くものだったらしい。

(ミンキアーテ版を考慮に入れなければ)この時点で小アルカナ(数札)に大アルカナの原型を取り入れるアイデアはあった模様。
ただし、独立したカードでなかったことからあくまでも数札を楽しむためのオプションだった。
1459年頃 タロット(大アルカナ)に一部取り入れられたと思われるマンテーニャタロッキの成立 イタリア

教育目的のカードとして制作されたと考えられている。絵ばかりで出来ている50枚一組のカードで、10枚の絵の五組からなっており、E、D、C、B、Aの五つのカテゴリーに分けられ、E・1「乞食」からA・50「創造主」まで段階的に配列されている。
※体系化・発行されたのが1459年頃であって、類似のものはそれ以前にもあったと思われる(真偽は確かでないとしても、ミンキアーテ版は類似のものと考えられる)

ミニアチュール→カード化の流れが大アルカナ誕生に寄与したとも考えられる。
15世紀 プレイングカード(小アルカナ)+タロット(大アルカナ)の融合 イタリア 15世紀当時、カード・ゲームが賭博として禁止される例が相次いだ(シュトラスブルクでも9回の禁止令が発布された:飲み屋におけるサイコロ,トランプ,盤上ゲームの禁止〔1452年〕)が、タロット(当時はトリオンフ)は規制の対象外とされていた。(時祷書的な教育要素を含むため取り締まれなかったか。おそらく、宗教・算数教育的な使われ方をしていた(もしくはそういう目的だと主張した)のではないか)
プレイングカード規制を逃れるために大アルカナ(ミニアチュール・カード)を加えたか。
1447~1463年頃 最古のタロット(ヴィスコンティ・スフォルツァ版・フルデッキ)の成立 イタリア

王侯貴族の贅沢品として画家に発注された。
キャリー・イェール版
少なくとも1466年に遡るとされている。またフィリッポ・マリア・ヴィスコンティの注文によるセットという学説もあり、このデッキが最古である可能性もある。学者ジョルダーノ・ベルティの学説によれば、このデッキは1442年と1447年の間に製作されたとされる。
ピアポント・モルガン・ベルガモ版
このデッキは、1451年前後に制作された。 もともとは78枚で構成されていたと考えられる。
ブレラ・ブランビラ版
1463年にフランチェスコ・スフォルツァ の注文でボニファチオ・ベンボ(1447 年-1477年活躍)によって描かれた。

ここで78枚のフルデッキとしてはひとまずの完成を見たのではないか。
1482年 タロットの伝播 フランス フランスの歴史に於いて、文献等に初めてタロットを含む「プレイングカード」に関わる言及が見られたのは1482年とされている。また、明確に「タロット」に関わる文献としてフランス最古のものは、フランソワ・ラブレーによる著書『ガルガンチュワとパンタグリュエル』であり、その第一之書に「tarau」という形で記述されている。なお、出版年は1534年となっている。その後、フランスでカードゲームが一般的なものとなるにつれて、遅くとも16世紀末頃にはリヨンやルーアンを中心としてタロットの製造が行われるようになっていた。
1482~1650の間にデザインの変遷があったものと思われる。
1590年 天正カルタ伝来 日本 ポルトガルより大アルカナを除くプレイングカード(小アルカナ)が伝来した。
16世紀のポルトガルのカードは、「ドラゴンカード」「ポルトガルの竜」といわれ、1の札には西洋の竜を描き、刀剣と棍棒では竜と格闘している様子を、また、棍棒の2には男性の人物を入れるなど、他の国のカードにはほとんど見られない特徴を持っていた。初期の「天正かるた」はこの特徴を忠実に模倣しているが、天正系のカードとされる後世の札は、徐々に日本風に変化していく。
78枚フルデッキと52枚前後のデッキ、両方が流通していたものと思われる。
1650年頃 マルセイユ版タロットの成立 フランス パリのジャン・ノブレによって作成されたタロットカードが「マルセイユ版タロット」の絵柄をもつ最も古いデッキとして有力視されている。このデザインが、後にタロットカードのデザインとして一般的なものとなり、これを元にした様々なバリエーションのカードがフランス各地で生産されることとなった。それらがマルセイユ版と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってから。
ここからジェブランの登場まではフルデッキのタロットが占いに使われることはなかったかも知れない。
1781年 オカルト的要素の付加 フランス クール・ド・ジェブラン(フランスのプロテスタントの聖職者でありオカルト主義者。本名アントワーヌ・コート)の『原始世界』刊行。「タロット=トートの書」説が世に出る。
ジェブランはタロットこそアレクサンドリア大図書館の焼失すら生き延びた伝説の魔法書であると主張し、エジプト起源説を唱えた。
ジュブランは1781年にタロットを発行しているがこれはオリジナルではなく当時の普通のものをそのまま発行しただけである。また、このエジプト起源説は根拠のあるものではなく、当時、歴史的な箔付けのためにオカルト関係事の起源をエジプトに求めることが多かったことから、タロットもこれに倣って、神秘的な魔術用具として起源をエジプトに求めたものと考えられている。
1783年 タロットは占い道具へ フランス

エッティラは1783年から1785年にかけて『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』を出版した。
ジェブランを信奉し、エジプト起源説によってタロットに神秘主義的な意味づけをし、初めて「逆位置(リバース)」という解読法を加えた他、小アルカナの4スートに、四大元素を当てはめ、初めてタロットと占星術を具体的に結びつけ、大アルカナから3枚を除いた19枚に7惑星や12星座との関連を与え「机上の占星術」という一面をもたらした。また、タロットの順番が長い歴史の間に誤って伝わってきたと主張して、独自の考えに基づいて大幅なカードの順番入れ替えと絵柄の変更を行い、はじめて、占い専用でしかも美麗なオリジナルデザインの「エッティラ版タロット」デッキを作成した。このデッキはヘルメス哲学、錬金術、旧約聖書、ヌメロジーなども取り込んだもので、のちに数多くの独創的なオリジナルタロットが創作される嚆矢となった。
1791年には『タロットの理論と実践』刊行。

エッティラ…本名ジャン・バプティスタ・アリエット。カード占い師。エッティラは本名を逆に綴ったもの。ただし英語読みであり、仏語ではエテイヤと発音する。日本では英語読みのエッティラまたはエッティーラで親しまれている。なお、一般にエッティラの前職が理髪師またはカツラ職人であったとされるがこれは誤解で、実際の前職は商人であった。

現代のタロットは、ジェブラン、エッティラが創始者と言っても過言ではないだろう。
1854年 タロットに魔術の要素が加わる フランス エリファス・レヴィ(本名アルフォンス・ルイ・コンスタン)による『高等魔術の教理と祭儀』出版。やがてこの本に書かれたオカルティズムに基づく神秘思想は当時のパリを席巻することとなり、19世紀半ばから20世紀に至る魔術復興・オカルト思想を象徴する存在となった。同書はタロットについての解説書でもあったので、以後現代に至るまで世界各地でタロット解釈の解説書の定番の一冊とされてきた。
タロットが本格的にオカルト道具化した瞬間であろう。
1910年 RWS版タロット誕生 イギリス アーサー・エドワード・ウェイトによる黄金の夜明け団の教義に基づくカバラ思想・神秘的象徴をふんだんに取り入れた「ウェイト版タロット」が発行される。
このデッキが出版されたのを皮切りに、世界中で神秘的解釈に依拠したタロットカードが製作されることとなった。
以降、多くのタロットがこのタロットをベースにして制作された。

参考資料:wikipedia、他

ちなみに、一部のカード図案に関しては14世紀の時点でほぼ完成していたと思われます。

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