さまざまな資料をもとに、タロットの歴史を考察してみます。
タロットに占い要素が加わったのは18世紀。
それまでタロットはいわゆるゲーム用のカードでした。
(現在でもゲーム用に用いられています)
ざっくり考えますと、
といった流れかと思われます。
「ただの遊び道具だったのか…」とがっかりされる方もいるかも知れませんね。
ですが、そもそも元から占い道具だったものなどほとんどありません。
何でもない日用品(時に石ころが使われたことだってあります)に占い的要素を見出し、占い道具として洗練させてきた、ヒトの偉大な創造性に感動すら覚えます。
道具というものは智慧の結晶とも言えます。
以下、点在する資料を年表にまとめ、間にコメントを入れてみました。
ご参考までに。
年代 | タロットへの影響 | 場所 | 解説 |
12世紀以前 |
プレイングカードの 成立(小アルカナ) |
中国 | 中国には「葉子」というプレイングカードが存在し、これがイスラム圏に伝わったとされる。中国の書物に、最も古いプレイング・カードに近いものが唐の時代(617~906)に存在したとの記述が。 |
シルクロード交易による伝来か。 | |||
13世紀頃 |
プレイングカードの 流通(小アルカナ) |
エジプト | 13〜16世紀にエジプトやシリア方面 を支配していたイスラム系のマムルーク朝人のカードが、アラビア人によってイベリア半島から製紙印刷技術と共にヨーロッパ社会にもたらされたとされる。 |
11~13世紀頃 | タロット(大アルカナ)のモチーフになったと推測されるトリオンフィ、カルミナ・ブラーナ(歌集)の成立 | イタリア ドイツ |
タロットカードの原型はペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304-1374)の寓話的な詩集『凱旋(Trionfi=トリオンフィ)』(1352年)にあると言われている。 カルミナ・ブラーナ ボイエルン修道院から発見された詩歌集。 |
トリオンフィ、カルミナ・ブラーナのみを大アルカナの原型とするのは無理があるように思うが、大アルカナのカード構成に影響を与えたことに間違いはないだろう。 | |||
14世紀頃 | タロット(大アルカナ)のデザイン様式の成立 | フランス |
14世紀頃から盛んになったキリスト教会装飾写本の挿絵(ミニアチュール) また、大アルカナ(主に四元徳)の構図原型に影響を与えたであろう美徳と悪徳の対になった壁画がスクロヴェーニ礼拝堂に残されている(1305年)。 |
ミニアチュールのデザイン様式がミンキアーテ、マンテーニャタロッキへと繋がった可能性が高い。 | |||
1392年 | シャルル6世のタロット | フランス |
記録上辿れる限りでは最古であるがこれは現存していない。これはシャルル6世が画家ジャックマン・グランゴヌールに作らせたもの。これは現存していないため現在のタロットとどの程度似ていたのか、あるいは全然違ったものだったのか、全くの所不明。 |
会計帳に「56枚の遊戯札」とあるので、プレイングカード(小アルカナ)のみであった可能性も否定できない。 | |||
1415年 | ミンキアーテ版の成立 | イタリア |
フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ公爵が秘書トルトナに作らせたという「ミンキアーテ版」。当時のものは現存していないが、後世に作られた複製が残っており、内容を知ることはできる。これによると配列順や名称、絵柄が現在の大アルカナとは違っているところもあり、現在の大アルカナの「枚数・順番・名称・絵柄」は当時まだ確立されていなかったことがわかる。 |
フィリッポ・マリア・ヴィスコンティは後(1463年)にボニファチオ・ベンボ(画家)にタロット制作を依頼している。 | |||
1420~1429年 | カード賭博の禁止 | イタリア |
ミラノ地方のフィリッポ・マリア・ヴィスコンティによる中程度のトランプ法。フィレンツェとその周辺のそれほど厳しくない禁止。 |
自身の秘書にカードを作らせ、その後禁止令を出しているところから、当時カードおよびカード賭博は身分を問わず大流行していたのかも知れない。 | |||
1440年 | タロットデッキ原型の出現 | イタリア |
知られるかぎり切り札が最初に使われたのは「トリオンフィ(trionfi)」というゲームで、タロットは本来はこのゲームを遊ぶ目的で作られた。 |
(ミンキアーテ版を考慮に入れなければ)この時点で小アルカナ(数札)に大アルカナの原型を取り入れるアイデアはあった模様。 ただし、独立したカードでなかったことからあくまでも数札を楽しむためのオプションだった。 |
|||
1459年頃 | タロット(大アルカナ)に一部取り入れられたと思われるマンテーニャタロッキの成立 | イタリア |
教育目的のカードとして制作されたと考えられている。絵ばかりで出来ている50枚一組のカードで、10枚の絵の五組からなっており、E、D、C、B、Aの五つのカテゴリーに分けられ、E・1「乞食」からA・50「創造主」まで段階的に配列されている。 |
ミニアチュール→カード化の流れが大アルカナ誕生に寄与したとも考えられる。 | |||
15世紀 | プレイングカード(小アルカナ)+タロット(大アルカナ)の融合 | イタリア | 15世紀当時、カード・ゲームが賭博として禁止される例が相次いだ(シュトラスブルクでも9回の禁止令が発布された:飲み屋におけるサイコロ,トランプ,盤上ゲームの禁止〔1452年〕)が、タロット(当時はトリオンフ)は規制の対象外とされていた。(時祷書的な教育要素を含むため取り締まれなかったか。おそらく、宗教・算数教育的な使われ方をしていた(もしくはそういう目的だと主張した)のではないか) |
プレイングカード規制を逃れるために大アルカナ(ミニアチュール・カード)を加えたか。 | |||
1447~1463年頃 | 最古のタロット(ヴィスコンティ・スフォルツァ版・フルデッキ)の成立 | イタリア |
王侯貴族の贅沢品として画家に発注された。 |
ここで78枚のフルデッキとしてはひとまずの完成を見たのではないか。 | |||
1482年 | タロットの伝播 | フランス | フランスの歴史に於いて、文献等に初めてタロットを含む「プレイングカード」に関わる言及が見られたのは1482年とされている。また、明確に「タロット」に関わる文献としてフランス最古のものは、フランソワ・ラブレーによる著書『ガルガンチュワとパンタグリュエル』であり、その第一之書に「tarau」という形で記述されている。なお、出版年は1534年となっている。その後、フランスでカードゲームが一般的なものとなるにつれて、遅くとも16世紀末頃にはリヨンやルーアンを中心としてタロットの製造が行われるようになっていた。 |
1482~1650の間にデザインの変遷があったものと思われる。 | |||
1590年 | 天正カルタ伝来 | 日本 | ポルトガルより大アルカナを除くプレイングカード(小アルカナ)が伝来した。 16世紀のポルトガルのカードは、「ドラゴンカード」「ポルトガルの竜」といわれ、1の札には西洋の竜を描き、刀剣と棍棒では竜と格闘している様子を、また、棍棒の2には男性の人物を入れるなど、他の国のカードにはほとんど見られない特徴を持っていた。初期の「天正かるた」はこの特徴を忠実に模倣しているが、天正系のカードとされる後世の札は、徐々に日本風に変化していく。 |
78枚フルデッキと52枚前後のデッキ、両方が流通していたものと思われる。 | |||
1650年頃 | マルセイユ版タロットの成立 | フランス | パリのジャン・ノブレによって作成されたタロットカードが「マルセイユ版タロット」の絵柄をもつ最も古いデッキとして有力視されている。このデザインが、後にタロットカードのデザインとして一般的なものとなり、これを元にした様々なバリエーションのカードがフランス各地で生産されることとなった。それらがマルセイユ版と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってから。 |
ここからジェブランの登場まではフルデッキのタロットが占いに使われることはなかったかも知れない。 | |||
1781年 | オカルト的要素の付加 | フランス | クール・ド・ジェブラン(フランスのプロテスタントの聖職者でありオカルト主義者。本名アントワーヌ・コート)の『原始世界』刊行。「タロット=トートの書」説が世に出る。 ジェブランはタロットこそアレクサンドリア大図書館の焼失すら生き延びた伝説の魔法書であると主張し、エジプト起源説を唱えた。 ジュブランは1781年にタロットを発行しているがこれはオリジナルではなく当時の普通のものをそのまま発行しただけである。また、このエジプト起源説は根拠のあるものではなく、当時、歴史的な箔付けのためにオカルト関係事の起源をエジプトに求めることが多かったことから、タロットもこれに倣って、神秘的な魔術用具として起源をエジプトに求めたものと考えられている。 |
1783年 | タロットは占い道具へ | フランス |
エッティラは1783年から1785年にかけて『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』を出版した。 エッティラ…本名ジャン・バプティスタ・アリエット。カード占い師。エッティラは本名を逆に綴ったもの。ただし英語読みであり、仏語ではエテイヤと発音する。日本では英語読みのエッティラまたはエッティーラで親しまれている。なお、一般にエッティラの前職が理髪師またはカツラ職人であったとされるがこれは誤解で、実際の前職は商人であった。 |
現代のタロットは、ジェブラン、エッティラが創始者と言っても過言ではないだろう。 | |||
1854年 | タロットに魔術の要素が加わる | フランス | エリファス・レヴィ(本名アルフォンス・ルイ・コンスタン)による『高等魔術の教理と祭儀』出版。やがてこの本に書かれたオカルティズムに基づく神秘思想は当時のパリを席巻することとなり、19世紀半ばから20世紀に至る魔術復興・オカルト思想を象徴する存在となった。同書はタロットについての解説書でもあったので、以後現代に至るまで世界各地でタロット解釈の解説書の定番の一冊とされてきた。 |
タロットが本格的にオカルト道具化した瞬間であろう。 | |||
1910年 | RWS版タロット誕生 | イギリス | アーサー・エドワード・ウェイトによる黄金の夜明け団の教義に基づくカバラ思想・神秘的象徴をふんだんに取り入れた「ウェイト版タロット」が発行される。 このデッキが出版されたのを皮切りに、世界中で神秘的解釈に依拠したタロットカードが製作されることとなった。 |
以降、多くのタロットがこのタロットをベースにして制作された。 |
参考資料:wikipedia、他
ちなみに、一部のカード図案に関しては14世紀の時点でほぼ完成していたと思われます。
コメントフォーム